前回の書き込みで、新しい名刺ができたのであいさつ回りを始める・・・と書いた
堀川が周りの人からは「無謀」と言われながら
障害者等共同作業所「ワークスペース夢工房」をはじめて
今年で15年になる。
それが、平成16年9月いろいろな方々の協力で、社会福祉法人の認可を受けることができた。
夢にまで見た、社会福祉法人になることができて、その長野県知事からの認可書を見たとき
思わず涙してしまったことを、今でも鮮明に覚えている。
法人の理念は
『「暮らす」「働く」「社会参加」をキーワードにして総合的な障害福祉サービスを提供する』
『どんなに障害が重くても最後まで地域で暮らすことができる地域作りを行う』
その二つとした。
この間、堀川はわき目も振らずにその理念の実現のため必死でこの地域に必要な
社会資源を作りに力を注いできた。
まずは、相談支援事業の立ち上げだった。当時は長野県からの委託事業として始まり。
自立支援法になってからは、市町村事業になったので、須高三市町村の須坂市・小布施町・高山
村の委託を受け継続できるようになった。
一つだった「働く場」は五つになった。
ヘルパーステーションも開始した。
障害者の有償移送サービスも、タクシー会社の了解をやっとの思いで取り、開始できた。
そして、「暮らしの場」であるグループホームも男性棟と女性棟の二棟を開設することができた。
この地域も、私が作り上げた理念に基づき一つひとつ必要な社会資源が出来上がってきた。
そんな、理念に少しづつ近づき法人としてはこれから充実期に入ろうとする今、堀川は法人を
去ることになった。まだ、やり残したことがあるのに・・・
最初は理不尽な思いでいっぱいだった。本当を言うと新しい名刺を持ち挨拶にまわりはじる
その日まで、心のどこかにそんな気持ちがまだくすぶっていた・・・。
でも、挨拶まわりを進めるごとに自分の気持ちが整理されていくことに気がついた。
これまでの約2年間「なんてくだらない議論に明け暮れてきたことか」そして「そのくだらない議論に
翻弄され、一喜一憂する自分であったのか」「もったいない時間を過ごしてしまったことか・・・」
今だから言ってしまおう、何故愛着のある法人を去らねばならなかったのか! !
それは、理念もビジョンもなく場当たり的な運営をする法人に何の魅力も感じなくなったからだ。
最初は、自分にとってとても大きなものを失ったと思っていた。しかし、挨拶まわりをするにつれ
その気持ちはどんどんと整理されていった・・・。
挨拶まわりをするたび、いろいろな形で知り合いになった方々に会った。皆、最初はビックリした様
子であったが、いろいろと話す中でとても私の気持ちに共感し理解してくれる方々であったことだ。
100枚で充分だと思い作った名刺も、すでにあと残り少なくなっている。
この15年間の活動の中で私はこんなにもたくさんの理解者や協力者がいたことを実感したのだ。
堀川の「この15年間の財産はこれだ!」と気付かせてもらった。
これから、堀川はまた新たな社会資源を作るため活動を開始した。
その時の、一番の力はそのことを理解してくれる人や支援してくれる人がどれくらいいるのか、
ということだ。この15年かけて堀川が作り上げてきたのは、箱物の形だけの資源でなく
堀川を支援してくれる・・・否 障害福祉を理解してくれる支援者にめぐり会ったことだ。
堀川が15年かけてしてきたことは「障害のある人があたりまえに暮らすことができる地域作り」
そのことを必死でしてきたわけであり。そのことは、今も脈々と続いているということに気付いた。
そんな挨拶まわりであったのだ。
さてさて、名刺をもう少し増刷りしなければ・・・。
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