2012/11/25

「田村一二と一麦寮展」を見に行く

昨日の11月24日(土)富士見町に行ってきた

先週の信濃毎日新聞に

「田村一二と一麦寮展」が富士見町で

平成24年11月3日(土)~11月25日(日)の予定で開かれているという

そんな記事を見て、興味を感じたので見に行ってみたのである

場所は富士見町の「八ヶ岳南の学校」(開校準備中)というところだった

その場所がカーナビにも入っておらず探すのに苦労した

あちらこちらで聞きながらやっとのことで辿り着いたら

 そこは富士見町と言っても山梨県との境に近い

 JRの中央線「信濃境駅」に程近い所にある民家で

近い将来、障害者関係の働く場やグループホームの開設を目指す

グループが企画したものであったらしい


田村一二氏と言えば、日本の知的障害者福祉の原点を築いた人の一人で

あの糸賀一雄氏らとともに中心的役割を果たした人であり

一麦寮を創設したひとであるのだ

画家、文筆家としても活躍した多彩な人であったという

展示会には、その田村氏の書かれた絵や書などの作品のほか

彼が書いた原稿なども展示されていた

また、一麦寮の寮生の陶芸作品や絵画等も展示されていた・・・

それらの、特に寮生の陶芸作品を見ると

我が旧友の関孝之氏が「風の工房」時代に取り組んだ作品たちにとても

近いものを感じさせられた

時代は違っても、何か共通するものが原点にあるように感じたのである

とてもいい作品展であった

でも少し慾を言うともう少しボリュームがほしかった

作品の一つひとつはよかったのだが

じっくり見ても10分もあれば見終わってしまうほどであり

片道2時間ほどかけて行った者としては

もう少しいろいろと見たかったと・・・少々心残りでもあった

前日の23日(金)には、上映会や吉永太市氏(元一麦寮寮長)による講演会も企画されていたらしい

きっと、それにも参加できていれば

充分すぎるほど満足できていたに違いない

とはいえ、まずまずの休日を過ごした堀川でありました・・・



2012/11/18

事務所の開設

昨日「まいぺーす」の事務所をオープンした

事務所のオープンと言うと、とてもすごいことのように思えるかもしれないが・・・

実は、事務所と言ってもアパートの一室を借りて私一人が仕事をできるようにしただけで

恥ずかしながら、事務員が何人もいるような事務所ではありません

とりあえず今の堀川は机とパソコンがあれば仕事ができるので、その準備をしただけなのです

なので机とパソコンがあれば仕事ができるということは、家でもいいということになるのですが

家ではどうも、だらだらとして仕事にならないのが堀川の性格なので・・・

堀川が毎日出勤して仕事をする場所を確保しただけにすぎないのです

普通、アパート暮らしの人であれば、そこから出勤するわけですが

明日から、堀川はアパートに出勤するわけです

今日は息子に手伝ってもらい、パソコンをネットとつないだり、プリンターを使えるように準備した

時々は、来客があってもいいように、電気ポットとコーヒーメーカーも用意した

冷蔵庫・電子レンジもある、堀川にとってはそこそこ快適な職場になりそうである

さてさて、明日からいよいよ出勤である

この場でその場所をご案内をするわけにはいきませんが

堀川の仕事ぶりをご覧になりたい方は、このページにコメントをください

正確な場所をメールにてご説明いたします

ぜひお出かけください・・・おいしいコーヒーを入れて、お待ちしております

明日から、新規事業を立ち上げるための書類づくり等をまずは手掛けて行こうと思っています

一日も早く事業を開始しなければと考えている堀川なのでであります

2012/11/08

昨今の堀川の活動などなど

前回の書き込みで、新しい名刺ができたのであいさつ回りを始める・・・と書いた

堀川が周りの人からは「無謀」と言われながら

障害者等共同作業所「ワークスペース夢工房」をはじめて

今年で15年になる。

それが、平成16年9月いろいろな方々の協力で、社会福祉法人の認可を受けることができた。

夢にまで見た、社会福祉法人になることができて、その長野県知事からの認可書を見たとき

思わず涙してしまったことを、今でも鮮明に覚えている。

法人の理念は

『「暮らす」「働く」「社会参加」をキーワードにして総合的な障害福祉サービスを提供する』

『どんなに障害が重くても最後まで地域で暮らすことができる地域作りを行う』

その二つとした。

この間、堀川はわき目も振らずにその理念の実現のため必死でこの地域に必要な

社会資源を作りに力を注いできた。

まずは、相談支援事業の立ち上げだった。当時は長野県からの委託事業として始まり。

自立支援法になってからは、市町村事業になったので、須高三市町村の須坂市・小布施町・高山

村の委託を受け継続できるようになった。

一つだった「働く場」は五つになった。

ヘルパーステーションも開始した。

障害者の有償移送サービスも、タクシー会社の了解をやっとの思いで取り、開始できた。

そして、「暮らしの場」であるグループホームも男性棟と女性棟の二棟を開設することができた。

この地域も、私が作り上げた理念に基づき一つひとつ必要な社会資源が出来上がってきた。

そんな、理念に少しづつ近づき法人としてはこれから充実期に入ろうとする今、堀川は法人を

去ることになった。まだ、やり残したことがあるのに・・・

最初は理不尽な思いでいっぱいだった。本当を言うと新しい名刺を持ち挨拶にまわりはじる

その日まで、心のどこかにそんな気持ちがまだくすぶっていた・・・。

でも、挨拶まわりを進めるごとに自分の気持ちが整理されていくことに気がついた。

これまでの約2年間「なんてくだらない議論に明け暮れてきたことか」そして「そのくだらない議論に

翻弄され、一喜一憂する自分であったのか」「もったいない時間を過ごしてしまったことか・・・」

今だから言ってしまおう、何故愛着のある法人を去らねばならなかったのか! !

それは、理念もビジョンもなく場当たり的な運営をする法人に何の魅力も感じなくなったからだ。

最初は、自分にとってとても大きなものを失ったと思っていた。しかし、挨拶まわりをするにつれ

その気持ちはどんどんと整理されていった・・・。

挨拶まわりをするたび、いろいろな形で知り合いになった方々に会った。皆、最初はビックリした様

子であったが、いろいろと話す中でとても私の気持ちに共感し理解してくれる方々であったことだ。

100枚で充分だと思い作った名刺も、すでにあと残り少なくなっている。

この15年間の活動の中で私はこんなにもたくさんの理解者や協力者がいたことを実感したのだ。

堀川の「この15年間の財産はこれだ!」と気付かせてもらった。

これから、堀川はまた新たな社会資源を作るため活動を開始した。

その時の、一番の力はそのことを理解してくれる人や支援してくれる人がどれくらいいるのか、

ということだ。この15年かけて堀川が作り上げてきたのは、箱物の形だけの資源でなく

堀川を支援してくれる・・・否  障害福祉を理解してくれる支援者にめぐり会ったことだ。

堀川が15年かけてしてきたことは「障害のある人があたりまえに暮らすことができる地域作り」

そのことを必死でしてきたわけであり。そのことは、今も脈々と続いているということに気付いた。

そんな挨拶まわりであったのだ。

さてさて、名刺をもう少し増刷りしなければ・・・。





2012/11/04

明日から活動開始

昨日

新法人である

「特定非営利活動法人 まいぺーす」 の

名刺が出来上がってきた

さてさて

明日から

その名刺をもって

挨拶まわりに出かけようと思う

一日でも早く

新事業を開始できるよう

動き始めなければ・・・

まずは

就労移行と生活介護の

事業所の立ち上げを

予定している

その場所の確定

予算の確保

人材の確保

しなければならないことは

山ほどある

のんびりしてはいられない

本格的に力を注ぎ

いよいよ

新たな航海に出るときなのですから・・・

少々緊張しつつ

新鮮な気分で

今を感じている

堀川なのであります・・・



2012/11/02

移転完了しました

お待たせしました。
移転完了しましたので、本日より投稿を始めさせていただきます。
今後ともよろしくお願いします。